上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
そんなわけで、現時点で1400再生の200マイリス。とっても嬉しい反応です、もっと聴いてってー!w

詞に関してのエトセトラ
色々と実験的な試みをさせていただきました。場面転換のコーラスを入れていただいたり。
というのも、雨音から始まってるのに、なんで星空見えてんのという問題がありまして。
東西南北コーラスも最後に書き足したものですし、コーラスは勢いで楽しく書きました。
曲の本題としては、超えられない壁、自分の限界とかに嘆いてみたり、自分よりももっと努力が出来て、もっと才能溢れる人達に対しての悔しさ、尊敬みたいなものを掘り下げてみました。
情景としては、夜の丘の上から運河を見下ろす僕。向こう側と自分の居る場所で、そんなテーマを表してみようかと。
人間ちょっと油断すると下を見て安心しようとするので、日々向上心を持たねばいけませんよね。
でも、上の世界をまざまざと見せつけられると、時に心が折れてしまいそうになる。でも頑張るぞ。そんな事が伝わればと。


音楽に関してのエトセトラ
情景描写も内面の葛藤も、現実味があるような無いような世界観だったので、夢も現実も、内面も外面もごちゃ混ぜの世界を連想しました。
Aメロだけちょっと変拍子ですが、基本的に前向きな攻撃的リズムに、荒々しい戦慄を。
場面転換、構成の移り変わりは、聴く側を置いてけぼりにしてしまうくらいやろうと思ったのですが、それが丁度良いくらいになったのかもしれません。
osuさんのギターのストロークで、とても雰囲気が良くなりました、本当に感謝。
曲の締め方は本当に悩みました。当初ラストのコーラスは間奏に入れようと思っていたのですが、色々とアイデアがあって絞れなくなってしまい、全部やっちゃえといった感じで。
そしてピアノが好評をいただけていて嬉しいです。頑張って弾いて良かった。


こんだけ語れば満足だぜ。むにゃむにゃ。
スポンサーサイト



「神の子供達はみな歌う」
Music:Orukana
Lyric:Meriga

冷めた雨音が空気を削る
遠くでサイレンが鳴る
曇った視界が捉えるのは
見果てぬ夢の今

意識の奥に眠る
懐かしい響きの暗示と問いが
刻み込まれたあの日の歌は
今の僕には歌えない

(鉛雲は風に流れ雨は遠ざかり月が夜を照らした)

銀の涙が空に浮かぶ
星降る丘の上
蒼い瞳の獣達は
弱肉を追いまわす

楽園の在処は
遙か遙か歴史の彼方
研ぎ澄まされた古の歌は
未だ僕には歌えない

僕がここに立ち尽くそうが
世界は動き続け
僕に何が起ころうが
世界には何も起こらない

大きな運河の向こう側では
越境者が歩む
耳を澄ませばそこに広がる
燃える命の凱歌

隔たりの先の世界は
今だ僕を受け入れはしない
どんなに望んでも足掻いても
今の僕には歌えない

誰も知らない僕だけの世界で
遠い日に思いを馳せる
刻み込まれたあの日の歌は
今の僕には歌えない

(東の山に虹が緑を運ぶ)
(西の城で花火があがる)
(南の海の鯨達は夢を見る)
(北の塔で人々は祈る)
×3


いかがでしたでしょうか。作品についてはまた後ほど。
創作者と創作物の間には、適切な距離というものがあると思うのです。
なんでいきなりこんな話かというと、沢城みゆきと十二の夜という大変素晴らしいラジオを聴き直していて思ったのです。

のめり込みすぎると変な方向に反れがち、でもある程度その作品に酔っているのは必要な事。
表裏一体の二つの目線を同時に持っているのが理想なのでしょう、プロフェッショナルなのでしょう。
そんな僕は制作時期によって距離感を意識しています。
まぁ大まかにいえば、仕上げの前に一回遠ざけるというか。客観的に見れるあたりまで距離を置く。
最近はそんな意識をしていたりします。自然とやるようになった作業の一つです。
最初のエポケーは、のめり込んで作った。一年後のエポケーは、客観的に作った。
両極端。そんな実験結果。
なので次のアルバムではまた同じ作業をやってみたいなと思っています。
今度はワールズエンドガーデンで。どんな変化が自分に起きているのだろうかと。まだ何も思いついてないので楽しみです。

| main |

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。